異形の館
No.002 GURYU
BAROQUE(以下「バロック」)は不思議なゲームである。 メインの舞台となる神経塔という名の自動生成ダンジョンに何度も何度も繰り返し潜らなければならない(しかも潜る前には必ずプレイヤーのレベルが初期状態に戻ってしまう)のだが、その単純な繰り返しのプレイが飽きそうでなかなか飽きない。 それぞれのプレイは同じことの繰り返しを行っているようで実は少しずつ異なった軌跡を描いてストーリーを進行させているというところにその秘密が隠されているようなのだが、他にもアイテムリストやシーンリストの完成という「コレクター魂」をくすぐる仕掛けも用意されており、単にプレイヤーを飽きさせないというだけでなく、気づかぬうちにじわじわと魂を引き寄せ、わしづかみにし、このゲームの虜にしてゆく恐るべき底力を兼ね備えている。
【GURYUの想い出】
グルーはアルファベットで表記するとGURYUになるらしい。このページをつくるためにSTING@WEBで調べなおして初めて知った。今までは自分勝手にGURUと表記していたのだがこれを機会に改めるとしよう。 グルーについてもMOONと同じく当初はかなり巨大なモンスターだと思いこんでいた。 STING@WEBに掲載されている解説をちゃんと読んでおればそんな思い込みを持たずに済んだのだが、デザイン画の迫力に圧倒され目が釘付けになっていた私にとって、文字面の解説など読む余裕はなかったというのが正直なトコロである。 さて、グルーについてはひとつ断っておかなければならないことがある。 グルーは他の異形「カトー」が吐き出す汚物から発生するという設定になっており、ゲーム画面でもカトーさんがしきりにぺっ!とグルーを吐き出すところを目撃するのだが、その一連のイメージから我が家ではグルーのことをドリフの「カトちゃんぺッ!」になぞらえて ぺ! と呼んでいる。 ゲーム画面の中からグルーの跳ねる音が聞こえてくると我が家では 「あっ、ぺ!がいるね」 「また、ぺ!が出た」 「なんだ、ぺ!かあ」 「ペ!しかおらんのか、つまらん」 などといった会話が交わされ、 ゲーム画面の中にグルーの姿を発見するとさらに 「あっ!あっちに ぺ! がいるよ」 「ああ、わかってる。そっちは後だ。こっちに2匹いるからな」 なんて会話になり 近くに寄ってきたグルーから攻撃を受けると 「ペ!のクセに生意気な!踏みつぶしの刑だ(ぷちっ!)」 「あああ見てるだけでうっとおしいわね、このペ!」 「ええい!面倒だ。腐肉刑具で一網打尽ぢゃ!(ぱらりん!)」 なーんて会話になる。 考えてみると、ペ!は…いや、グルーはかなりひどい扱いを受けているような気がする。 カトーの汚物から発生する異形という設定自体が既に清潔志向で潔癖性のプレイヤーなどには疎まれる素地を提供しているとは言えるのだが、ここまで疎まれ軽んじられているのはなぜなのだろうか? たぶんにその答えは グルーの圧倒的な弱さにある のではないかと私は分析する。 グルーも基本的にはMOONなどと同じく「ザコキャラ」である。初期レベルで何の装備も持っていないプレイヤーが素手でぽかりと殴るだけで簡単に浄化されてしまう。 さらに言えば何ら手出しをすることなく、歩いてそばに寄るだけで踏みつぶすことさえできてしまう。 他愛ない。脆弱な異形。あまりに簡単にその生命を消し去ることのできる存在。 そこには命の重さに対する錯覚が生じる余地が十二分にある。 犬猫を殺すことに抵抗を感じる人であっても蚊や蠅であれば何の躊躇もなく叩きつぶしてみせる、あの感覚だ。 さらに言えばそんな他愛もない、とるに足らない存在のクセにプレイヤーに向かって攻撃を加えてくるという 分不相応な行為に対する怒り があるのではないかと私は分析する。 そしてさらに付け加えるとすると、 グルーがいる = 近くにカトーがいる ということで初期状態のプレイヤーにとっては時として脅威となり得るカトーの存在をにおわせるグルーに対して 虎の威を借る狐 に対する怒り、即ち、自分は弱いクセにカトーがそばにいるんだぞ!俺にさからうことはカトーにさからうコトになるんだぞ!だから俺様の攻撃を甘んじて受けろ!などといった自分の力のみで勝負しようとせず他の存在の力を頼んで分不相応な行為を行う あつかましさ! がプレイヤーの逆鱗に触れてしまうのではないかと私は分析する。 【結論】 グルーの生きる道はカトーの汚物として生まれた過去にはこだわらず、鍛錬して自らの力のみでプレイヤーに拮抗する力を備えてから勝負を挑むという方向に修正されねばならない。 そしてその暁には、ゴミ同然の扱いを受けている今のグルーからは想像もつかない完成形の「新生グルー」が誕生するに違いない。 プレイヤーも、他の異形も一目置くような、そんなグルーに変化していって欲しい。 カトーさんをして 鳶が鷹を生んだ と言わしめて欲しい。 そう、切に願ってやまない今日この頃である。
(2000/09/23) |
(c)STING (http://www.sting.co.jp/)