異形の館
No.004 GRILO
BAROQUE(以下「バロック」)は赤と黒と白のゲームである。その意味するところはゲームをプレイした人ならば「なんとなく」「ニュアンス的に」感じとっていただけるのではないかと思う。 「赤は直接的、黒は間接的、白は逆説的」ということもできるし 「赤は物理的、黒は心理的、白は感覚的」ということもできる。 「赤は肉体的、黒は精神的、白は超越的」といってもいいだろう。 赤に象徴されるのは物理的、肉体的に感じられる直接的な「痛み」である。誰でも肉を切られ赤い血がほとばしる様を見れば、自らの過去の経験から「痛み」を思い出す。 黒に象徴されるのは心理的、精神的に感じられる間接的な「痛み」である。誰でも心に暗部を持っている。どろどろした部分を持っている。それは認めたくないことではあっても事実である。 日頃は無意識のうちに心の防衛規制が働いて人は自分の暗部を心の奥底に沈め置き、自らもその存在を忘れ去ろうとする。あたかも自らがそんな暗部など持っていないかのように自らの表層意識を「騙し」「マインドコントロール」することにより、ささやかな精神的安定を得るのである。 バロックの主要テーマのひとつである「痛み」というものがこの赤と黒に象徴されるイメージの中に表現されている。 皆が避けて通りたい「痛み」。 それをあえて引き出すために赤と黒のイメージが効果的に使われているのである。 そして白。 白は純粋さを表す典型的なシンボルである。誰も白の純粋さを疑わないし、「純粋=良いもの」という暗黙の了解に心を縛られていることが多い。 しかし、白こそが赤や黒などで表現されるよりも実はもっと深刻な「痛み」をもたらすものであることを知っておく必要がある。 いや、バロックをプレイした者ならばもう既に「知って」いるはずだ。 換言すれば実はバロックの真のテーマは「白」なのである。 白はその純粋さゆえに人を狂気に導く存在である。天使の羽が白いのは人々にその天使が「神の使い」であることを信じさせるためのフェイクである。 白は疑うことを許さない。白は人々の心を麻痺させる。そして心を麻痺させられた人間は人間ではいられなくなる。 異形…それはまさに心を麻痺させられ己の中にあるバロックが暴走してしまった人間のなれの果ての姿である。 歪みは誰の心の中にも存在する。それは「痛み」同様、通常は避けて通りたい、思い出したくない、認めたくない自分自身の本性である。 バロックは自らの中に存在する歪みの存在を知り(認知)、その歪みを目覚めさせ(覚醒)、そしてその歪みを再び自らのものとして意識的に中に取り込んで(昇華)生きてゆくべきだという真理を説いている。 もちろんこの解釈は私の「バロック」である。あなたに強制はしない。 しかし私の「バロック」は既にあなたの中に浸透し、脳裏に刻み込まれている。 この文章を読んでいるあなたはもう私の「バロック」の一部に取り込まれつつあるのだ。 ご用心めされい。
【GRILOの想い出】 グリロについて語る前にまたもや英語のスペルの話なのだが、スティングのWEBサイトでも結構統一がとれていなかったりするのが面白い。 例えばグリロの場合、「GRILO」なのか「GLIRO」なのかがはっきりしない。 バロック公式サイトの日本語のページではセガサターン版のバロックを紹介するページに異形の特集コーナーがあり、そこに異形のスペルが載っている。そこではグリロは「GRILO」と書かれている。 しかし、英語のページではプレイステーション版の異形紹介のコーナーを見てみると、グリロは「GLIRO」と書かれているのである。 一体どちらが正しいのか?それとも…もしかするとどちらも正しいのか? よくはわからないが気になるところである。え?そんなことはどうでもいいから早く話を進めろ?ハイハイ、仰せのままに…。 (注) この記事を書いてから再びセガサターン版バロックの異形コーナーを見に行ってみるとグリロはGLIROと表記されていた。あら? もしかしてGRILOという表記は私の妄想の中にだけ存在したのか? なに?そんなことはどうでもいい? ま、それもそうだ。 私が嘘つき呼ばわりされればいいだけのこと。 ふっ。 そう言えば英語のページには「Gloro」という表記もあるような気がするのだが、これももしかしたら私の妄想なのかも知れない。真実はみなさんの目で確かめて欲しい。 ちなみにブルガーも英語のページでは… え? いーかげんに本論に入れ? 了解。 (注のみ2000/10/31に追加) グリロはゲーム中1、2を争う「イヤな異形」である。 何がイヤって… ・せっかく一生懸命育てたアイテムを盗んでいくところがイヤ! とまあ他にも色々あるけれど、書き出したらキリがないのでこのへんで。 基本的に私は盗人が嫌いである。先祖は銭形平次か鬼平犯科帳の鬼平だったのではないかというくらい盗人は嫌いである。罪を憎んで人を憎まずという言葉があるが、そんなキレイ事で済ませるほど私は甘くない。 見つけ次第徹底的に追いつめて殲滅する! 命乞いをしようが何をしようが断じて許さない。もちろん、ルパン3世とかそれなりの大物になってくるとまだ許せる部分はあるのだが、チンピラふぜいが盗みを働いた場合はそりゃもう徹底して追いかける。 その昔、江戸の町では付け火(放火)をして火事になったどさくさにまぎれて盗みを働く「火付け盗賊」が横行した。 その対策として設けられたのが「火付け盗賊改め」という制度である。先にも述べた鬼平犯科帳はその「火付け盗賊改め」であった鬼平の物語であると聞いたことがあるが、ま、それはさておき。 火付け盗賊改めには「火付け盗賊」はもちろんのこと、怪しい振る舞いをしているというだけで、見つけ次第問答無用で切り捨ててよいという強い権限が与えられていたという。 私の脳裏にインプットされている思考パターンも、その「火付け盗賊改め的」なものの考え方が支配的なので、バロックに限らず他のゲームなどでも間違って味方のキャラクターに攻撃をしかけたりしてしまうことがたびたびある。 バロックでは異形との区別ができにくい呪葬天使が真っ先に切って捨てられた。あんな紛らわしい奴は斬っておくに限る。 断っておくが、斬る私が悪いのではない。逃げる奴が悪いのだ。 逃げるものを追いかけるというのは肉食動物の本能である。逃げる奴は獲物であり、あるいは、弱いうちに潰しておくべき憎むべき敵なのだ! 何?グリロの話からだいぶ遠ざかっている?そりゃ失敬。話を元に戻すとしよう。 グリロの話 グリロが重要なアイテムを盗んでいくのは、ま、仕方がない。それがヤツの仕事だからだ。異形はたいてい襲いかかってきて人間を食らったりするのだが、グリロの場合は「命」までは盗まないというのがポリシーなのか殴られたことはあっても殺されたことは一度もない。 そう考えてゆくと、イヤなヤツでもそれなりにイイところもあるじゃないかってコトで多少は救いが残っているような気もする。 ただ、逃げ足が早いという点だけは、個人的な体験からかなり許せないものを感じている。 幼い頃から「かけっこ」が苦手で鬼ごっこをするといつも最後まで「鬼」をやらされたという経験から、私には「足の早さ」に対するコンプレックスがある。 私が鬼になると友達はみんな馬鹿にしたような目で笑いながらふざけた足取りで逃げてゆく。 まるで…グリロの…ように。 まともに一生懸命走っても追いつけない悔しさ、無力感、絶望感。追いつけそうだ!もうちょっと!あと一歩!というところで身軽に身をかわして逃げてゆく友達の、優越感に満ちた目の輝き。 まるで…グリロの…ような。 バロックをプレイしていてグリロの「跳ね音」が聞こえて来ると、ただそれだけで私の幼い頃の体験がよみがえり、口の中に苦い嫌な味が広がってゆく…。 そして今日も私はグリロを追いかける。幼い頃の友達を追いかける。 そして刀でメッタ斬りにする。 失われた…何かを取り戻すかのように。 グリロは逃げ足が早い。大事なアイテムを取られてしまった時はさらに輪をかけて一生懸命追いかける。しかし、それでも追いつけない時は… 腐肉刑具を使って始末する。 アイテムなんてどうでもいい。無くしたと思えばいいんだ。また1から育てる覚悟さえ持っておれば何も案ずることはない。 されど、グリロに逃げられてしまったという記憶だけはゲームのように簡単にリセットできるものではない。 だから私はグリロのために腐肉敬具をとっておく。 決して逃がさない。 それが私のかかえている幾多の「バロック」のうちのひとつを昇華する唯一の方法(コタエ)なのだから…。 (2000/10/29) |
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