異形の館

No.006 SEVENTEEN

 

BAROQUE(以下「バロック」)には根強い人気がある。1998年5月21日発売のセガサターン版、そして1999年10月28日のプレイステーション版の発売を経て、それから1年以上もたつというのに人気は衰えるどころかまだまだ増加の一途を辿っているようにも見える。

ゲームの内容に多くの人間を惹き付ける要素があることは既に述べたがそれだけでは説明のつかない「何か」がある。

直感的にそう感じたのだが、いざそれが「何なのか」を説明しようとするとなかなかうまい具合に言葉が出てこない。

ゲームの内容以外に何があるのか…開発会社STINGの魅力だろうか?

もちろんSTINGはバロックの人気を持続させるべく色々なWEBイベントや関連商品の開発を行い、ファンの期待に応えている。

WEBブラウザで遊べる神経塔の神経衰弱ゲーム、パソコン(WIN)で遊べるバロックシューティングのオンライン・ダウンロード販売、さらにはサウンドノベルという新たな切り口で本編とはひと味違った世界を描いたバロック・シンドロームの発売、マウスパッドなどのキャラクター商品通販やバロックリポートなどの配布物、ファン特典としての先行ゲームプレイなどなど、ファンにとっては至れりつくせりの徹底したサービスぶりは見事としか言いようがない。

経営指導が本職の私の目から見ても対顧客の経営姿勢や経営努力についてはかなり優秀な企業であるということに疑いを挟む余地はない。

しかし…やはり疑問は残る。

それだけで…説明がつくのだろうか?

STINGのWEBサイトへアクセスすると、ファンの熱気は直接肌で感じられるほどに熱く激しい。

専用BBSも連日賑わっており、どんどん新たなファンがやってきては書き込みをしてゆく。

バロックオンリーと称するバロックだけのイベントが各地で開催され、ファン同士の交流も盛んである。

グッズも発売されるやいなや、飛ぶように売れている。レアもののグッズになると争いが生じかねない雰囲気だ。

これは…何かに…似ている。

うっすらと脳裏に浮かぶ言葉が形をなし、ひとつのつながりをもった言葉に置き換わる。

そしてそこから浮かび上がってきた結論はあまりにも衝撃的な真実を物語っていた。

 

 

 

マ・ル・ク・ト

 

 

 

…そうか。

そうだったのか。

すべては 「あの方」 の思惑通り … というワケか。

 

恐ろしい人だ

 

さすがは「翼の者」というべきか…。

フッ。

 

 

【SEVENTEENの想い出】

私は暴走族が嫌いである。小学校、中学校と同級生だった友達…というか子分が、中卒後、小さな暴走族のアタマを張っていたようなのだが、私は高校へ通う道すがら、文字通りそいつのアタマを張り倒して元気に挨拶させるような毎日を送っていた。

暴走族は人の迷惑を顧みない。若さゆえの暴走なんてキレイな言葉で片づけてみても周辺住民に多大な迷惑をかけていることへの言い訳になどなるはずもない。

若さに甘えるな!ボケ!

バイクや車のカッコ良さを自分のカッコ良さと勘違いしてイキがる生意気なガキは異形にでも食われてしまえばいい。

自分一人では何もできないことを認めたくないがために集団に交わって自分一人ではできなかったことをしてみせることでその自分のふがいなさをごまかして生きようとするガキなど異形に食われてしまえばいい。

バロックをプレイしていてセブンティーンに出会うと、そんな風に考えていた昔の自分を思い出す。

歪み多き世代の象徴であるセブンティーン。カッコ良さの象徴であるバイクを取り込んで融合しているにもかかわらず、その姿に滑稽さを感じてしまうのは私だけではないだろう。

タイヤをおろしてさっそうと走る様はそれなりにキマって見えるのだが、このタイヤは童話に出てくる「赤い靴」と同じく、いったん履いてしまうと脱ぐことができず一生死ぬまで「踊り」続けることを要求する戒めの靴である。

セブンティーンはタイヤから降りると、手から離れぬタイヤが邪魔をしてロクに前を見ることも出来ない。普通に歩くこともできない。

重いタイヤを抱えたままドタバタと走り回る光景は、滑稽さを通り越して哀れですらある。

背伸びをして手に余るものを手にした輩は自滅する

自由のきかぬ手では明日をつかみとることもできず

前も見ずにただ走り続けるしかない定めに囚われる

そんな当たり前のことすら、お前達にはわからなかったんだな…。しかし安心しろ、そんなお前達でも今、俺がきっちり浄化させてやる。

そう言って私は迫り来るセブンティーンを浄化する。かなわぬ相手と見極め切れぬ未熟さゆえの拙い攻撃を見切り、かわしながら一撃のもとに叩き切って捨てる。

もう、十分走ったよな

そんな言葉を口にしながら鼻歌まじりに切り捨てていくこともある。逃げないザコはその愚かさに敬意を表して全て叩き切ることにしているので、躊躇することなど全くない。

後には死屍累々、異形の残骸が積まれていくだけである。

前にも書いたことがあるが、私は異形を憎んでいるワケではない。異形はその愚かさといい歪み具合といい、全て好きである。愛らしいとさえ感じることもある。

ただ、中には私の過去の経験や価値観を心の奥底から引きずり出してしまう、いたずら好きな困ったちゃんの異形もいる。

その場合だけちょっと過激に浄化行為に没頭してしまうというだけの話である。

決してアブナイ人間ではないので
念のため申し添えておくことにする

なんてコトを自分で言うような人間は信用してはいけないのだが。ま、そのあたりの判断はこの文章を読んだあなたに任せよう。

それではまた次回。 アディオス! 同志よ。

(2000/11/26)

(c)STING (http://www.sting.co.jp/)


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